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『日本の「運命」について語ろう』

4月1日(水) cloud

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新田 次郎 著、幻冬舎 (2015/1/21)

夫から貸してもらった本。
大げさな題名に・・・引いたけど despair せっかくだから、読んでみた。
最初の方は知っていることばかりで、年度末の忙しさに一時中断。
今日、続きを読んだら、著者の博学さに 「なるほど~」 連発 shine

講演録を再構成して加筆・修正したもので、内容は、タイトルと合っていないと思う。以下、私が 「なるほど…」「へぇ~!」と思った箇所を、メモ。

◆明治大正時代
*1915年までの陸軍の常備兵力は、21個師団(1師団は、2~3万人規模)。第一次大戦後、軍縮が世界の潮流になり、日本では17師団、25万人(今の自衛隊の総数ほど)まで縮小。甲種合格でもくじ引きをして当たった人だけが入営していた。食事ができて読み書きを教えてくれるという理由で、貧しい農家の二男坊・三男坊は、くじに当たりたがった。

 *それが・・・第二次世界大戦末期には、本土決戦用の陸軍兵力は172個師団、250万人いた(陸軍総数500万人)。

*明治時代、警察官に採用されたのは士族。偉そうな態度、剣道で警察官が強いなど、それが後々まで影響する。

 *第二次世界大戦戦死者:日本は民間人も含めて300万人。ドイツは800万人、ソ連は2,660万人!

*優秀な榎本武揚が外交手をが発揮したのが、1875年の千島樺太交換条約。樺太は帝政ロシアの領土、千島列島は日本の領土とした。

◆中国大陸の近代史
*清は、満州族の国。最後の皇帝の姓「愛新覚羅」を見れば、明らか。満州語の発音に漢字を当てた。

*1616年、満州で騎馬民族の「清」が建国、瀋陽(奉天)を都としていた。1644年に万里の長城を超えて北京に入ってきた(漢民族を制圧)。文化的に優れている明王朝に敬意を払っていたのか、官吏も含めて殆どを踏襲し、辮髪だけを国民に強制した。チャイナドレスも、満州族の衣装(マンチュリアンドレス)。

*中国(漢民族)には襖や障子はなく、履物を脱いで家に入る習慣は、満州族や蒙古族にはるが、漢民族にはない。胡座もかけない。この点、欧米と近い。自動ドアは、引き戸式。だから、日本は世界一、自動ドアが多い。

*中国の皇帝は息子の中から後継を指名したから、心身共に丈夫で優秀な皇帝が続いた。狩猟民族・遊牧民族は、指導力と体力が必要だったから。

*それに対して、日本は長男相続。農耕民族にとては、強力なリーダシップは不要。田畑をめぐる相続の揉め事を避けることが大事。長子相続する地域もあり、伊能忠敬は、長子である長女の婿になって家業を伸ばした。

*日本が和の国なのは、土地が狭くて人口が過密であること、しかもよそ者がやってこない環境で、同じメンバーで2千年も稲作を中心にした農耕生活を続けてくれば、仲間うちの和を乱さない文化ができあがる。

*「かつて、横書き文字を右から書いていた」というのは、誤り。そもそも、中国語にも日本語にも横書きはない。一行一文字の縦書きを何行か書いている。

◆明治維新
*秀吉・家康が禁教令を出してキリシタンを弾圧したのは、安全保障上の国策だった。まずイエズス会の宣教師を派遣し、おびただしい情報を本国に送って植民地にするのが常套手段だったからだ。

 

*ペリー艦隊は、捕鯨船の護衛艦隊だった。産業革命で、鯨油を大量に必要としていた。

 

*最初に来たアメリカと「最恵国待遇(2番目以降の国は、最初の国の利益を削ぐような条約を結ばない。日本とヨーロッパのどこかの国がトラブルある時、アメリカ大統領が仲介する)」の通商条約を結んだ。なので、これ以降、留学はアメリカが最も多い。すぐ後でやってきたロシアと順番が違っていたら、その後の歴史も違っただろう。

 

*長州は上海の対岸に位置していいて、世界情勢に敏感だった。清の二の舞にならぬよう、尊皇攘夷の「攘夷」を「開国」に転換。留学生を送って西欧の科学・制度を学び、日本の独立を守ろうと考えた。松下村塾の世界認識や高杉晋作の上海見聞がその背景にある。 *明治政府は、医学はドイツ、交通はイギリス、社会制度・軍隊はフランスと、分野ごとに当時の先進国に留学生を送り込んだ。彼らは決死の覚悟で海を渡り、国を背負って学んだ。

 

*法という概念が人類社会に登場したのは案外新しく、それ以前には「礼」社会規範になっていた。✖「法に触れていないからやっていい」

◆参勤交代
*お殿様の正室と跡取りの息子は、江戸住まい。跡を継ぐと、領地に行く。これが「お国入り」。廃藩置県によって旧大名は東京住まいとなったが、東京育ちのお殿様には、これは抵抗がなかった。

*江戸の人口の半分は、武士とその妻子だった。江戸屋敷に常駐する家来、旗本、御家人。一方、大坂(大阪)は幕府の直轄地なので、には大名がいなかった。そこが東京と大阪の文化土壌の違い。

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